2010坐禅会・各自の見解

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1.「白隠禅師坐禅和賛」~ はくいん ぜんじ ざぜん わさん ~

 

江戸時代の臨済僧・白隠慧鶴禅師が作られた和文のお経。

中心に説かれているのは、坐禅に代表される「禅定」と呼ばれる実践行。

「禅定」とは、無神経・無感覚にならず、外界の刺激をうけながら、精神を統一し、雑念を抑え、静かに思慮すること。

「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて」

「水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」

私たちは本来仏なのである それは水と氷の関係のようなもので

水がないと氷ができないように 私たち以外に仏はありえないのである。

私たちは、皆生まれながらに、仏さまと同じ心を持ち合わせています。

それはあたかも、「水」と「氷」の関係のようです。

氷は、水が固まってできたものであり、もとは同一のものです。

一般に「悟り」と呼ばれ、何か超人的な能力と思われがちな心も、また、凡人と思っている私たちの心も、本当は同一の「仏心」なのです。

その「仏心」は、遠く離れた天国にあるわけではなく、水と氷のように、私たち自身の肉体とその心を離れて存在するものではありません。

私たちの日常は、誘惑・苦難・不安にあふれています。これらは、正しい判断を狂わす原因になります。これらに打ち克つためには、全ては心のあり方が大切です。

心が落ち着いていてこそ、「正しい判断」や「正しい行い」ができるのであり、「何事にも徹する」ことができるのです。

「坐禅和讃」は、そのためのヒントを提示してくれています。

私も「凡人ではない」ということを考えながら、「坐禅和賛」の理解を深めたいと思っています。

2010年4月3日 小河 

白隠禅師の坐禅和賛

坐禅和賛は坐禅に際して、今でもよく唱えられている。日本製のお経(テキスト)の一つと言えばよいだろう。文章は日本語なので、漢文とは違って意味はよくわかる。

坐禅和賛を今年のテーマに選んだのは、二つの目的がある。

一つはもちろん、作者である白隠の生き方を、少しは知りたいからだ。
白隠は坐禅和賛をはじめ仮名法語など、膨大な著作を残している。著作だけではない、絵画、墨跡も実に多い。500年不出の宗教家と言われる白隠、いったいどんな人物なのか興味深い。
白隠学という研究分野もあるのは、その魅力が325年後の今も、いかに尽きないかを物語る。

二つは坐禅和賛を、自分のものとしたいからだ。
漢文のお経(テキスト)を読んでも、意味がわからない。翻訳されたときには社会状況や翻訳者の意図が、テキストに混在することもあるだろう。
しかし坐禅和賛は漢文テキストを和訳したのではない。白隠自身の言葉である。従ってそこには、白隠が到達した思想が込められているのに違いない。それを知ろうとすることは、自分自身と向き合うことでもある。市民のグループがそんな企てを行えるのは、とても楽しいことである。

テキストとしては、柳田聖山著の「禅と日本文化」講談社学術文庫をお薦めする。

慈眼院・坐禅会2010年テーマ、発表スケジュール

  • 2010年のテーマは白隠禅師の著作といわれる坐禅和賛をとりあげる。
  • なお坐禅和賛を討議する参考書として、柳田聖山著「禅と日本文化」を使用している。
  • 以下がその本文であるが、白隠禅師の著作かどうかについては、研究者による異論が提起されている。
    ここではひとまず、坐禅和賛として流布されている以下の内容について、テーマとして取り上げていくことにする。

(4/3)小河
衆生本来仏にて     水と氷の如くなり
水を離れて氷なく    衆生の外に仏なし

(5/22)片桐
衆生近きを知らずして  遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て   渇と叫ぶが如くなり
長者の家に子となりて  貧里に迷うに異ならず

(6/5)(井内)
六趣輪廻の因縁は    己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき

7月10日(松田)
夫れ摩訶衍の禅定は   称嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
その品多き諸善行    皆この中に帰するなり

8月21日(花本)
一坐の功を成す人も   積みし無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき  浄土即ち遠からず

9月4日(宮本)
辱くもこの法を     一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は    福を得ること限りなし

10月9日(長野)
況や自ら廻向して    直に自性を証すれば
自性即ち無性にて    已に戯論(けろん)を離れたり

11月6日(吉田)
因果一如の門ひらけ   無二無三の道直し
無相の相を相として   往くも帰るも余所ならず

12月4日(柴田)
無念の念を念として   歌うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく   四智円明の月さえん

1月15日(青木)
この時何をか求むべき  寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国     この身即ち仏なり