ヨット

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沖縄県立博物館から戻る

7月9日から12日にかけて、沖縄県立博物館・美術館と浦添市美術館へ調査に行く。沖縄の船舶古絵図を調査するためだ。
関西空港からの沖縄便は、台風接近ですごく揺れる。ヨットがヒールするより、遙かに恐ろしい。那覇空港からレンタカーで、博物館へ直行する。牧野さん、崎山さんはすでに到着して、待っていてくれた。学芸員の園原さんが立ち会ってくれて、早速「進貢船の図」を熟覧する。ヨット乗りが二人一組で記録していくので、調査は以外にはかどる。

二日目は、首里那覇港図屏風の調査だ。展示中の原本を見せてもらった後、パソコンで詳しく調べる。掲載されている進貢船を初め、サバニなど70隻近くを全て調べてカード化した。皆へとへとになり、懇親会場の「ままや」へ向かう。懇親会には崎山さんの友人である、泰山さんが来て下さり、お話を伺う。冷静な歴史認識に裏付けられた「沖縄協議離婚論」は、迫力がある。古酒を2,3倍飲んで、解散する。

三日目の調査は、浦添市美術館の「琉球交易図屏風」だ。今日は西野さんが合流してくれた。西野さん、牧野さんは信天翁24で、本土から沖縄へ航海したヨット乗りだ。二人とも、ヨットは糸満へ置いている。
浦添市美術館の学芸員、當山さんの立ち会いの下、無事調査を終える。その後に、美術館で開催していた宮城清漆芸展に立ち寄る。螺鈿の制作から作品の全ての工程を、独力で完成させた技術者だ。生涯を掛けた探究心に、頭が下がる。皆と別れてから、また美術館へ戻る。宮城さんが居たので、螺鈿の香合を注文した。

四日目は飛行機の出発にまだ時間があったので、知念、奥武島をまわり、「淡すい」で沖縄そばを食べる。店はプレハブ小屋だが、すばはスープがあっさりしていて、うまい。

 

沖縄の県立博物館を訪問

関空からマイレージを利用して、那覇へ行く。那覇からはレンタカーで糸満へ直行する。青木ヨットから購入頂いた信天翁24が2隻、糸満フィッシャリーナに係留されているので、まず見に行く。サバニ・ヘンサーも保管してもらっている。みな異常はなさそうだ。

糸満と言えば、海人(うみんちゅう)のまちだ。海人であった上原初保も、玉城剛も、もう亡くなってしまった。挨拶も抜きに、まず結論から述べる。彼らの言いたい放題の話は、いつも楽しみだった。琉球の船と航海を研究するきっかけは、彼らの影響を受けたからに違いない。

大航海時代と言えば、中世のヨーロッパを思い浮かべる。しかし中世の東アジアでは、ヨーロッパと並ぶほどの大航海時代が、繰り広げられていたのではないだろうか。その舞台は、ヨーロッパの地中海に対して、アジア内海と呼ぶべき大陸に沿った海域ではなかっただろうか。その仮説を確かめるために、文献調査を進めている。
中世のアジア内海で最も活躍したのは、琉球の船であることが、先達の研究によって明らかにされつつある。どのような船で、どのような操船術で、どのような航海術でその航海を行っていたのだろうか。日本は稲作が渡来して以来、農業国であったととされている。本当にそうなのか。日本の歴史と文化を航海者の視点から再考するために、琉球の航海と交易の歴史が糸口となるに違いない。その事前調査のために、沖縄県立博物館を訪問することが、今回の目標だ。

糸満の友人と久しぶりに再会して、夜は琉球料理で宴会だ。大城さんは漁船の造船所を経営している。慶良間へ修理に出張していて、今日戻ったところだ。崎山さんは県立博物館の館長と知人だそうだ。明日は同行してくれるという。

 

きのくに子どもの村学園のヨット作り-1

11月27日は会社の定休日だ。自動車で和歌山県橋本市の山中にある、きのくに子どもの村学園を訪れた。橋本市から紀ノ川を渡ると、道路が狭くなる。進むほどに狭くなり、カーナビも戸惑っている。こんな山の中でいいのだろうかと、不安になる。

ようやく木々の間に、学校らしい建物が見えてきた。ヨット制作チームの生徒が、駐車場を教えてくれる。

生徒たちは10人くらいで、小型ヨットZen11の制作を、一から実行しているチームだ。図面から原図をベニア板へ起こして、その原図に合わせてフレームを組立てる。次に船台を作り、指定位置にフレームを立てると、ようやくヨットらしい外観が現れてくる。ここまで30時間ほどかかったとのことだ。生徒も先生も、よくめげずに頑張ってきたものだ。

すでにベニア板の側板は張り終えているので、今日は底板を接着剤と、タッピングでフレームに貼付ける。接着剤の混合も、ドリルの使い方もなかなかうまい。完成が楽しみだ。

 

Rayと42年ぶりに再会する

42年前、サンフランシスコへ到着したときに、お世話になったのは、Charley, Suzzane Greenfield夫妻とRay, Lynn Prendergast夫妻だ。他にも、たくさんの方々に親切にして頂いた。しかしこの4人には、泊めてもらったり、ホームパーティを開いてもらったり、私にとっては航海を継続するために、勇気を与えてくれた人たちだ。パーティでスピーチをうながし、参加者に寄付を募ってくれる。その輪が広がり、次々とパーティで励ましてもらった。

Rayから突然メールが来たのは、2ヶ月前だ。いまはPhoenixに住んでいるという。89歳となっている。他のCharley, Suzzane それにLynnには、もうお礼を言うことも出来なくなっていた。サンフランシスコでの滞在を切り上げて、Phoenixへ向かう。Rayが空港に出迎えてくれている。日本風のレストランでアメリカ風のすしをごちそうになる。自宅のあるSan Cityは、リタイアした人たちが多く住む、郊外の町だ。庭の植木が、サボテンなのには驚く。金鯱や柱サボテンが玄関横に植えられている。かってサボテン少年だったので、サボテンを見るだけでわくわくする。

奥さんのNancyは、体調が良いとのことで、一緒に夕食をとる。ライ麦パンと、野菜の健康的な食事た。テーブルセッティングと料理は、Rayがしたのに違いない。デザートに、アイスクリームをすすめてくれた。洗い物は私がする。ガンを患って、10年ほどになるという。エックハルトの人生の目的の一節を読んでくれる。

翌日はSedonaへ、ドライブだ。片道3時間を休みなしで運転してくれる。Red Rockを車窓から見て、そのままPhoenixへUターンだ。18時からアリゾナヨットクラブで、講演することになっているからだ。疲れてホテルへ送ってもらう。89才のRayは、私どころではないだろう。

翌朝3時半に、Rayがホテルへ迎えにきてくれた。「どうだい」。ポットのお茶を勧めてくれる。カップも温めてある。空港で、抱き合う。胸が詰まって、なかなか離れられない。

Zen24でゴールデンゲートブリッジを見に行く

信天翁二世号で世界一周したときの、最初の寄港地が、サンフランシスコだった。大阪を出て、ちょうど82日目だ。不安な一夜が明けて、目の前の朝日の中に浮かび上がってきたのが、ゴールデンゲートブリッジだった。天文航法の計算が正しかったことが確認できて、その後の大きな自信となる。

その後も何度かベイエリアを訪れる機会があったが、仕事ばかりでセーリングする余裕はなかった。ようやく課題をこなしたので、きょうはZen24で一日セーリングを楽しむことにした。アラメダマリーナを出航して、ベイブリッジをくぐる。風は弱いが潮流は後からだ。アルカトラス島をタックしてかわすと、もうゴールデンゲートブリッジが目の前に現れる。他の橋と違って、風格がある。鋼材の接合には鋲を使っているのが見える。橋桁の下は潮流が渦巻いている。帰り道はサンフランシスコ側の陸地に近づこう。反流を利用しないと、とても戻れない。

持ってきたパンを食べ、ダウンタウン沿いにセーリングを続ける。6ノットは出ているが、コイトタワーとビルとのトランシットが、なかなか変化しない。ベイブリッジをくぐり、アラメダチャンネルへ戻る。すごい夕焼けが、サンフランシスコのビルを染めている。アラメダマリーナへ帰り、Zen24の片付けと水洗いをする。

おなかが減ってきたが、ホテルへ戻ることにした。、デリバリーを頼んで、部屋で夕食だ。明日は当時世話になったRayに会うために、Phoenixへいく。