友人

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休日に梅の花見に行く

体調を整えるために、ジャイロキネシスへ通っている。月に3回行くだけだが、肩と腰の調子がとてもいい。もう半年も継続している。先生がほめ上手のせいだろう。

今日はとても暖かいので、そのあとに近所の金熊寺梅林へドライブする。山の盆地にある小さな梅林だ。紅梅はすでに終わりつつあるが、白梅はちょうど満開だ。おなかが減ったので、台地にある茶屋へ向かう。おでんを買ってランチにする。おにぎりはコンビニで買ってきた。
梅林の中のこみちを散策する。梅の良い香りが漂ってくる。何気ない一日だが、うれしい一日だ。

沖縄の県立博物館を訪問

関空からマイレージを利用して、那覇へ行く。那覇からはレンタカーで糸満へ直行する。青木ヨットから購入頂いた信天翁24が2隻、糸満フィッシャリーナに係留されているので、まず見に行く。サバニ・ヘンサーも保管してもらっている。みな異常はなさそうだ。

糸満と言えば、海人(うみんちゅう)のまちだ。海人であった上原初保も、玉城剛も、もう亡くなってしまった。挨拶も抜きに、まず結論から述べる。彼らの言いたい放題の話は、いつも楽しみだった。琉球の船と航海を研究するきっかけは、彼らの影響を受けたからに違いない。

大航海時代と言えば、中世のヨーロッパを思い浮かべる。しかし中世の東アジアでは、ヨーロッパと並ぶほどの大航海時代が、繰り広げられていたのではないだろうか。その舞台は、ヨーロッパの地中海に対して、アジア内海と呼ぶべき大陸に沿った海域ではなかっただろうか。その仮説を確かめるために、文献調査を進めている。
中世のアジア内海で最も活躍したのは、琉球の船であることが、先達の研究によって明らかにされつつある。どのような船で、どのような操船術で、どのような航海術でその航海を行っていたのだろうか。日本は稲作が渡来して以来、農業国であったととされている。本当にそうなのか。日本の歴史と文化を航海者の視点から再考するために、琉球の航海と交易の歴史が糸口となるに違いない。その事前調査のために、沖縄県立博物館を訪問することが、今回の目標だ。

糸満の友人と久しぶりに再会して、夜は琉球料理で宴会だ。大城さんは漁船の造船所を経営している。慶良間へ修理に出張していて、今日戻ったところだ。崎山さんは県立博物館の館長と知人だそうだ。明日は同行してくれるという。

 

きのくに子どもの村学園のヨット作り-1

11月27日は会社の定休日だ。自動車で和歌山県橋本市の山中にある、きのくに子どもの村学園を訪れた。橋本市から紀ノ川を渡ると、道路が狭くなる。進むほどに狭くなり、カーナビも戸惑っている。こんな山の中でいいのだろうかと、不安になる。

ようやく木々の間に、学校らしい建物が見えてきた。ヨット制作チームの生徒が、駐車場を教えてくれる。

生徒たちは10人くらいで、小型ヨットZen11の制作を、一から実行しているチームだ。図面から原図をベニア板へ起こして、その原図に合わせてフレームを組立てる。次に船台を作り、指定位置にフレームを立てると、ようやくヨットらしい外観が現れてくる。ここまで30時間ほどかかったとのことだ。生徒も先生も、よくめげずに頑張ってきたものだ。

すでにベニア板の側板は張り終えているので、今日は底板を接着剤と、タッピングでフレームに貼付ける。接着剤の混合も、ドリルの使い方もなかなかうまい。完成が楽しみだ。

 

友人のお母さんをお見舞いに行く

11月20日、芦屋のケアーハウスへ、お見舞いに行く。自宅からもってきた、家具や鉢植えを飾っているので、お母さんも少しは和んで居られるようだ。冷たくなっている手を温めてあげると、気持ちよさそうだ。何度も手を差し出されるので、両手で挟んで暖める。

帰り道にそば屋、土山人へ寄る。にしんそばを頼むと、そばとニシンが別々に出てきた。そばのお椀は、角偉三郎かと思ったが、違うようだ。私の好みでは、大正区の凡愚がひと味上だ。値段は半分近いし、器も森岡さんの焼き締めや白磁を使っている。

Rayと42年ぶりに再会する

42年前、サンフランシスコへ到着したときに、お世話になったのは、Charley, Suzzane Greenfield夫妻とRay, Lynn Prendergast夫妻だ。他にも、たくさんの方々に親切にして頂いた。しかしこの4人には、泊めてもらったり、ホームパーティを開いてもらったり、私にとっては航海を継続するために、勇気を与えてくれた人たちだ。パーティでスピーチをうながし、参加者に寄付を募ってくれる。その輪が広がり、次々とパーティで励ましてもらった。

Rayから突然メールが来たのは、2ヶ月前だ。いまはPhoenixに住んでいるという。89歳となっている。他のCharley, Suzzane それにLynnには、もうお礼を言うことも出来なくなっていた。サンフランシスコでの滞在を切り上げて、Phoenixへ向かう。Rayが空港に出迎えてくれている。日本風のレストランでアメリカ風のすしをごちそうになる。自宅のあるSan Cityは、リタイアした人たちが多く住む、郊外の町だ。庭の植木が、サボテンなのには驚く。金鯱や柱サボテンが玄関横に植えられている。かってサボテン少年だったので、サボテンを見るだけでわくわくする。

奥さんのNancyは、体調が良いとのことで、一緒に夕食をとる。ライ麦パンと、野菜の健康的な食事た。テーブルセッティングと料理は、Rayがしたのに違いない。デザートに、アイスクリームをすすめてくれた。洗い物は私がする。ガンを患って、10年ほどになるという。エックハルトの人生の目的の一節を読んでくれる。

翌日はSedonaへ、ドライブだ。片道3時間を休みなしで運転してくれる。Red Rockを車窓から見て、そのままPhoenixへUターンだ。18時からアリゾナヨットクラブで、講演することになっているからだ。疲れてホテルへ送ってもらう。89才のRayは、私どころではないだろう。

翌朝3時半に、Rayがホテルへ迎えにきてくれた。「どうだい」。ポットのお茶を勧めてくれる。カップも温めてある。空港で、抱き合う。胸が詰まって、なかなか離れられない。