アジア内海

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航海者から見た、アジア内海の船と航海術・・・目次

航海者から見た、アジア内海の船と航海術・・・Preview

1. 航海者からアジア内海を位置づける

2. アジア内海の船と航海技術

  • 2-1 船の多様性と共通性
  • 2-2 航海記録から見る航海術
  • 2-3 乗組員の役割と、操船術

3. アジア内海の大航海時代

  • 3-1 アジアの大動脈、沿海州からミャンマー
  • 3-2 繁栄するアジア内海の港湾都市

4. 日本の歴史と文化に与えた海民の影響

  • 4-1
  • 4-2 農民と海民のリーダーシップ
  • 4-3 海民の価値観と宗教

5. 出典一覧

 

 

旧石器人たちが2万年も前に海を行き来していた?

友人の原木さんから、新たなメールが届いた。ヨーロッパから見た世界史は、今後どうなるのだろうか。古田武彦先生も、黒曜石の分布に注目しておられたのを思い出す。


今回の記事は、神津島の黒曜石と航海法についてです。外国の研究者たちにあざ笑われたそうです。『日本の片田舎の旧石器人たちが2万年も前に海を行き来した?あり得ない』って。
もっとも古い航海の記録はエーゲ海の1万年前だとされていましたから。

お役に立てば、幸いですが・・・・・
原木

 

 

キャプテン・クックの列聖に共感

友人の原木さんが、新聞書評の切抜きを送ってくれた。早速アマゾンで、中古本を注文した。スリランカ人の著者の怒りに共感する。
Capt Cook

「アジア内海」の大航海時代を担った帆船の航海技術

昨年から沖縄で行ってきた調査結果が、名古屋市立大学22世紀研究所から公開された。

論文のタイトルは「アジア内海」の大航海時代を担った帆船の航海技術 です。日本は農業国と考えられてきたが、実は中世からすでに貿易国であった。ヨーロッパの大航海時代以前から、アジア内海では貿易に使われていた帆船の航海技術が、すでに確立されていたのではないか。琉球王国時代の絵図を読み解く調査を通じて、次第に明らかとなってきました。

以下のリンクからダウンロードできますので、ぜひご覧ください。

日本語版
http://id.nii.ac.jp/1124/00000942/
英語版
http://id.nii.ac.jp/1124/00000949/
名古屋市立大学22世紀研究所
http://www.nagoya-cu.ac.jp/2315.htm

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ベトナムの古い港町ホイアンへ・1

お正月休みを利用して、ベトナム中部の古い港町であるホイアンを訪ねた。旧市街が世界遺産に登録されて以来、ホイアンは観光地としても名高い。
ホイアンはホーチミンやハノイと同じく、デルタ地帯の河口に形成された港町だ。江戸時代初期には、日本との御朱印船による交易港の一つとして栄えた。当時は日本人町が形成され、600人くらいが住んでいたという。中華街との間に架けられた、日本橋と呼ばれる木造橋が現在も残っている。博物館には日本からもたらされた染付が、多数展示されている。ホイアンから輸出された陶磁器は、焼き締め陶も磁器も安南と呼ばれ茶器として使われた。当時の安南茶器は、現在でも数多く日本に残っている。
遊び半分で博物館を見て回る。ハンネラの水差しも無造作に展示している。
次の日は小型船をチャーターして、河口まで連れていってもらうことにした。シングルプランキングの木造艇だ。エンジンは横型のディーゼルだ。クランクを手動で回せば、一発でかかる。デルタの河口は日本の河川とは水流が全く異なる。川の流れはないかのごとくだ。むしろ潮汐による潮流の影響のほうが強い。上げ潮流を避けるためか、小型船は本流を避けて、脇の水路を4ノットほどで河口へ向けて下っていく。建設中の河口を跨ぐ巨大な橋を越えると、うねりが入ってきだした。ホイアンへの目印である灯台が河口の洲の中ほどに見える。
「もう戻っていいですか」
「はい、戻ってください。ところでここの水深は何メートルですか」
「3mです」
帰途は川の本流を走る。御朱印船の人達と同じ気分になってくる。外海から河口へ入った途端に波はなくなる。当時も入港は嬉しい瞬間だったことだろう。
「ここは何メートルですか」
「2mです」
そのうちホイアンをヨットで訪れることになるだろう。往復3時間かかった。チャーター料は3500円だった。