カテゴリー : 月例坐禅会

坐禅・座禅・Zen・大阪

 

坐禅会 慈眼院坐禅会

Meeting with your true self creates more peace and enjoyments on your life.
 

楽 亦 在 其 中

坐禅をして、何になる。坐禅は、なにかの得になるのか。本当の自己に出会うことは、幸せなのか。
あなた自身がその意味を解くほかはありません。坐禅はその一助となるでしょう。

  • △■○ 日時: 毎月第一土曜日、午後6時半から約3時間。 都合により日程を変更する事があります。日程は必ずこちらから、ご確認ください。ご希望の方は6時半前に集合して下さい。遅れたときは休憩時まで、お待ち下さい。体が楽な服装でお越し下さい。こちらの報道記事が参考になります。参加費は500円です。3名以上の人数でないときは、事前連絡は不要です。
    また不定期に接心(泊まりがけの坐禅)を行っています。
  • The monthly Zen meeting starts at 1830 hours most of every first Saturday for 3 hours. You can check the schedule here. The fee will be charged Yen 500 per each person.
    Please feel free to join our zen meeting. You are welcome no matter who you are. Overnight meeting is frequently held.
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  • △■○ 場所: 大阪府泉佐野市日根野626 慈眼院御本堂の地図はこちら
    連絡先青木洋電話072・465・8192  慈眼院電話072・467・0092
  • The meeting is held at JIGENIN temple in Osaka. You can check the location here. Contact Yoh Aoki for further information, call 072-465-8192 or post a comment.
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  • △■○ 坐禅会には思想信条を問わず誰でも参加できます。坐禅はメディテーション、止観などと同じ意味です。キリスト教、イスラーム、仏教などの宗教に共通して行われる瞑想の一種です。生きている限り避けては通れない欲望ですが、その奥に存在する本来の自分自身を見いだし、人生を全とうしようと行うものです。  
    2010年は白隠禅師の「坐禅和賛」から、毎月担当者が一節ずつを発表し、全員で意見交換を行っています。
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  • △■○ 坐禅中の合図に使用する金剛鈴、金剛鉾は2006年にダライ・ラマ法王が、広島の大聖院で潅頂を行われた際に頂いたものです。

「愛と慈しみこそ、まさに社会の礎となるものです。こうした感情を失ってしまうと、社会に恐るべき苦難をもたらします。人間の存続でさえ危機にさらされるかもしれません。」
「私たちは、生れ落ちた瞬間から、両親の保護と慈しみのもとに置かれますが、その後の人生においても、病で苦しんだり、年老いた時に再び他者の慈しみを受けることになります。一生の始まりと終わりに、これほどまでに他者からの慈しみにあずかっていながら、どうして他者に優しくしないでいられましょうか。」(ダライラマ)

dalailama1 ダライ・ラマ法王

慈眼院ダライラマ法王日本事務所文殊師利大乗仏教会世界電網学道道場

慈眼院・坐禅会2010年テーマ、発表スケジュール

  • 2010年のテーマは白隠禅師の著作といわれる坐禅和賛をとりあげる。
  • なお坐禅和賛を討議する参考書として、柳田聖山著「禅と日本文化」を使用している。
  • 以下がその本文であるが、白隠禅師の著作かどうかについては、研究者による異論が提起されている。
    ここではひとまず、坐禅和賛として流布されている以下の内容について、テーマとして取り上げていくことにする。

(4/3)小河
衆生本来仏にて     水と氷の如くなり
水を離れて氷なく    衆生の外に仏なし

(5/22)片桐
衆生近きを知らずして  遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て   渇と叫ぶが如くなり
長者の家に子となりて  貧里に迷うに異ならず

(6/5)(井内)
六趣輪廻の因縁は    己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき

7月10日(松田)
夫れ摩訶衍の禅定は   称嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
その品多き諸善行    皆この中に帰するなり

8月21日(花本)
一坐の功を成す人も   積みし無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき  浄土即ち遠からず

9月4日(宮本)
辱くもこの法を     一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は    福を得ること限りなし

10月9日(長野)
況や自ら廻向して    直に自性を証すれば
自性即ち無性にて    已に戯論(けろん)を離れたり

11月(服部)
因果一如の門ひらけ   無二無三の道直し
無相の相を相として   往くも帰るも余所ならず

12月(東使)
無念の念を念として   歌うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく   四智円明の月さえん

1月(青木)
この時何をか求むべき  寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国     この身即ち仏なり

9月4日の月例坐禅会

夕刻なのに、まだ気温は下がっていない。慈眼院の駐車場へ着く。入り口の白芙蓉が、くっきりと上に向かって突き出ている。
本堂は開け放たれているが、蚊は進入してこない。お寺のご厚意で、出入り口と室内に蚊取り線香が設置されているからだ。

坐禅中は体温が高まり、さらに熱くなる。しかしきょうは、深く坐ることができた。線香が消えていたのにも気づかなかった。

坐禅が終わり、皆で書院へ移る。冷房が事前に入れてあり、涼しい。冷たいお茶を頂きながら、今日のテーマについて、議論をはじめる。
宗旨にとらわれた意見も、とらわれない意見もでる。正しい、誤りを決めるのではない。自分にとって、坐禅に参加することの意味を、確かめるのだ。

次回は10月9日の1830時からとなった。発表者は、長野さんだ。

白隠禅師「坐禅和讃」を読む 8/21 担当花本

一座の功をなす人も   

積みし無量の罪ほろぶ    

悪趣何処にありぬべき

浄土即ち遠からず

一座・・・一人座る(座禅)事。    

功・・・・修行の効果。念仏の功。

も・・・・もまた。

無量・・・数的、量的、空間的に無限。仏    

罪・・・・悪。苦。宗教的に非難される行為。善男善女から非難される行為

ほろぶ・・絶えてなくなる 

悪趣・・・悪い所。悪行の結果として受ける生存の状態。迷いの世界。

  苦しみの生存。

浄土・・・煩悩の穢れを離れた清らかな世界。仏のおられる世界。極楽。仏 

               (・・・仏教語大辞典    古・・・古語辞典)

一人静かに座禅を組み、その修行の効果があらわれた人もまた、

今まで重ねてきた数多くの悪い行為や、(人生の)苦労が消え果ててしまう。

悪行や心の迷い、苦労などはどこにもないはずである。

言いかえれば仏のおられる清らかな世界は(自分自身の)すぐそばにある。

                              (花本 訳)

ひととき、心をおちつけて静かに座った人は

悩みごとなど実はなかったんだ、と気付くのです。

悪い出来事など一体どこにあるというのでしょう。

極楽は今ここにあるのです。

                 (臨済宗妙心寺派 松尾山 聖福寺 HPより)

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4.白隠禅師「坐禅和讃」を読む 7/10 担当松田

夫れ摩訶衍禅定は                   大乗の禅は

称嘆するに余りあり                       いくら称嘆してもしきれないほどだ。

布施や持戒諸波羅蜜            他人への施しや自分自身への戒め

念仏懺悔修行等                         念仏や懺悔、他力の信心、自力の修行等

其の品多き諸善行             数々の善行があるが

皆この中に帰するなり           それらは皆「禅定」の中に包括される。

<用語解説>

摩訶衍       大乗(Mahā〈偉大な〉yāna〈乗り物〉)という語は、『般若経』で初めて見られ、摩訶衍(まかえん)と音写された。大きい乗り物→大きい教え。

禅定  心を統一して瞑想し、真理を観察すること。またそれによって心身ともに動揺することがなくなった、安定した状態を指す。坐禅。

大乗仏教 伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心菩提(悟り)を強く求める心のこと)を起こすことを条件とし、この「利他行(自分の解脱よりも他者の救済を優先すること)」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標としている。  

持戒  戒を守ること。仏教において守らなければならない道徳規範や規則を守ること。

諸波羅蜜 諸々の波羅蜜。 彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である。玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた)は、仏教における菩薩仏教において成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者)の基本的な実践徳目である。六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧のこと。「六度(ろくど)」とも呼ばれる。菩薩は、この六つの波羅蜜行の徳を蓄積して、遠い未来の生において一切智の正等覚者として無師独悟するといわれている。

※臨済宗 大光山 宝徳寺、ウィキペディア 参照

私の見解(松田)

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6月の月例坐禅会

6月5日の坐禅会に、遅参してしまった。誠に申し訳ないことだ。
坐禅が終わると、いつも書院でお茶を頂く。本堂から書院へ渡る間には、石積みの水路がある。鎌倉時代の遺構とのことだ。溝の上にほたるが光っている。光が水面に反射して、揺らいでいる。

今回の参加者は9名であった。「坐禅和賛」の発表と意見交換に、熱が入る。それぞれ異なった角度からの、思い切った見解表明は、とても刺激になる。
「宗教は信じてはあかん、疑って、疑いを尽くして初めて、信じられるものや」
柳田聖山先生の言葉である。きょうは、生々しく思い出した。白隠の言葉としても、そのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

門を出る前に大山蓮華に足を運ぶ。暗黒の藪に、白い花がボーと浮かんでいる。鼻を近づける。なんと高貴な香りだろう。どんな名香も及ばぬような、気高い香りである。一年間、生きていてよかったと思える瞬間であった。

来月の坐禅会は、7月10日(土)に決まった。8月は21日(土)である。来月から開始時刻は19時から1830時へ変更となった。途中から参加してもらっても、一向に差し支えない。坐禅後は2130時まで、発表と意見交換を行うことになる。

慈眼院の大山蓮華

慈眼院の大山蓮華/長野さん撮影

3.『白隠禅師坐禅和讃』

  ■ 『白隠禅師坐禅和讃』 経文 現代語解釈 『智光院』

六趣輪廻の因縁は己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえていつか生死を離るべき
   
(ろくしゅりんねの いんねんは おのれが ぐちの やみじなり       
やみじに やみじを ふみそえて いつか しょうじを はなるべき)

人間は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上、という6つの世界(六趣または六道)を生まれ変わる、とされ、それは「輪廻転生」と言われています。
悪行の結果として、地獄・餓鬼・畜生の3つの悪趣に生まれ、善行の結果として、修羅・人間・天上の3つの善趣に生まれる、とされています。                  
そして、苦しみからの解脱は、3つの善趣に転生すること、と考えています。                       
しかし、そのような考えは、私たちが愚かで、仏心を信じないがために、そう考えるのです。                           
もともと釈尊の教えでは、私たちの苦しみには、必ず原因があり、その原因を無くせば苦しみは消滅する、という考え方です。     
その教えを知らないから、私たちは輪廻転生に、救いを求めているのです。           
それは、暗い夜道を、灯りも点けずに歩いていくようなものです。                       
暗い夜道を歩いていっても、目的地に辿り着くのは難しく、これでは、苦しみから抜け出すどころか、さらに苦しみの迷路に入り込んでしまいます。

  • 天界道
    天界道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれていない。
    天人が死を迎えるときは五つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。 
  • 人間道
    人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、 苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、仏になりうるという救いもある。
  • 修羅道
    修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが 地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
  •  畜生道
     畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。
  •  餓鬼道
    餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると 火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。
    旧暦7月15日の施餓鬼会はこの餓鬼を救うために行われる。
  • 地獄道
    地獄道は罪を償わせるための世界である。その罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えた
    ものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。

            慈眼院 座禅会  井内 道登

2.Hakuin Zenji – Zazen Wasan(白隠禅師 ― 坐禅和讃)

 

Shu-jo chikaki wo shirazu shite
衆生近きを知らずして         私たちが仏であるにもかかわらず
Tooku motomuru hakanasa yo
遠く求むるはかなさよ         自分の外に仏があると思って あちこち探しまわっている
Tatoeba mizu no naka ni ite
譬えば水の中に居て         それは水の中にいながら
Katsu wo sakebu ga gotoku nari
渇を叫ぶが如くなり              のどが渇いたと叫んでいるような ものである
Chooja no ie no ko to narite
長者の家の子となりて         また、裕福な家の子に生まれたのに
Hinri ni mayou ni koto narazu
貧里に迷うに異ならず         貧しい里をさまよい歩いているのと同じである 

白隠禅師の描く達磨像にこんな言葉がありました。
直指人心 見性成仏 (じきし にんしん けんしょう じょうぶつ)
人間の心の根源を見届けて仏になりなさい、の意だそうです。
つまり、己自身を懼(おそ)れることなく見定める事だと思います。
例えば私の意見ですが、
ある物事や出来事に対し、「直指(じきし)」直視(ちょくし)できない場合も
多く、何だかんだと自分に甘かったり、知らぬ間に言い訳を考えたりした事っ
てありませんか?そんな内は、自分の中に確固として鎮座する“仏”には到底
たどり着けないのではないでしょうか。とにかく私には難しすぎます。きっと
心のどこかで、わたしのような凡人には悟る資格がないのでは・・と思ったり、
また資格があっても、厳しい修行を行った末には、外部から「仏心」が降臨し
てくるものかなと思ったりしています。ですが、お釈迦様や白隠禅師も私たち
が仏であると明言しています。
これからは、私自身出来る事(視る・発言する・感謝する・謝るなど)を徹底
して判断し、行動してまいりたいと思っています。
                        2010.5.22  片桐孝二

5月の月例坐禅会

今月の参加者は9名であった。参加者が増えるのは嬉しいが、終了が22時を過ぎたこともあった。静かな村の中にあっては、各自が自動車のドア開閉にも配慮を行うべきであった。これまでは何かと慈眼院のご厚意に甘えていたのを痛感した。
今後は、21時半には終わるようにしたい。

門を入り、右側にある大山蓮華をのぞいてみた。蕾が2つ、ふくらんでいる。来月にはかぐわしい香りが、路地に漂うかもしれない。年に一度のことだが、この花の香りを小さな楽しみにしている。

今回の坐禅和賛の発表は、片桐さんの担当であった。

1.「白隠禅師坐禅和賛」~ はくいん ぜんじ ざぜん わさん ~

 

江戸時代の臨済僧・白隠慧鶴禅師が作られた和文のお経。

中心に説かれているのは、坐禅に代表される「禅定」と呼ばれる実践行。

「禅定」とは、無神経・無感覚にならず、外界の刺激をうけながら、精神を統一し、雑念を抑え、静かに思慮すること。

「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて」

「水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」

私たちは本来仏なのである それは水と氷の関係のようなもので

水がないと氷ができないように 私たち以外に仏はありえないのである。

私たちは、皆生まれながらに、仏さまと同じ心を持ち合わせています。

それはあたかも、「水」と「氷」の関係のようです。

氷は、水が固まってできたものであり、もとは同一のものです。

一般に「悟り」と呼ばれ、何か超人的な能力と思われがちな心も、また、凡人と思っている私たちの心も、本当は同一の「仏心」なのです。

その「仏心」は、遠く離れた天国にあるわけではなく、水と氷のように、私たち自身の肉体とその心を離れて存在するものではありません。

私たちの日常は、誘惑・苦難・不安にあふれています。これらは、正しい判断を狂わす原因になります。これらに打ち克つためには、全ては心のあり方が大切です。

心が落ち着いていてこそ、「正しい判断」や「正しい行い」ができるのであり、「何事にも徹する」ことができるのです。

「坐禅和讃」は、そのためのヒントを提示してくれています。

私も「凡人ではない」ということを考えながら、「坐禅和賛」の理解を深めたいと思っています。

2010年4月3日 小河 

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