22世紀研究所・ヨット

1/15 坐禅和讃 結びの句 担当青木

この時何をか求むべき  寂滅現前する故に
ここまでくれば、もう迷うことはないぞ。何かを求める必要はもうないのだ。求めないでも、おのずから目の前に広がっている。すでに苦しみは消えさり、楽しみは目の前に広がっているぞ。

当処即ち蓮華国     この身即ち仏なり
日常そのものが浄土であり、幸せな毎日だ。それはブッダと何ら変わらない生活であり、この自分自身こそがブッダであるぞ。

坐禅の歴史

坐禅の起源はBC2500年以前にさかのぼる。インダス文明の中心都市であった、モヘンジョダロ遺跡から発掘された印章に見られるという。
ブッダが活躍したのはBC500年頃。

禅宗はボーディダルマがAD500年頃中国へ入り、中国禅の始祖となった。ダルマからは二祖恵可に受け継がれた。
七世紀には六祖慧能の南宗と神秀の北宗とに分かれ、主流となった前者から曹洞宗と臨済宗が派生した。
唐代には臨済宗の始祖となった臨済が出て、栄えたが、南宋時代に衰えた。

日本の禅宗は鎌倉時代のAD1200年頃、入宋した栄西と道元から始まるといわれていたが、最近の研究では、その約50年前から大日坊能忍が日本達磨宗を開き、活動を始めていた。
白隠は江戸時代中期(AD1700)に公安禅をまとめこれまでの語録を再編して公案を洗練させ、体系化した。中でも自らの悟りの機縁となった「隻手音声」と「趙州無字」の問いを、公案の第一に位置づけ、以後の修行者に必ず参究するようにさせた。臨済宗の中興の祖と言われている。

坐禅和讃に対する青木の考えは、こちらから。青木坐禅和讃20110115

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