22世紀研究所・ヨット

亀岡の、みずのき美術館を訪問した。

楽々荘で待ち受けていたのは、とんでもなく面白い人との出会いだったが、その話はまたの機会にしよう。
旅館を出た後、すぐ近くのみずのき美術館を訪問した。商店街をゆっくりと通るが、どこに美術館があるのかわからない。パーキングに止めて、歩いて探しに行く。商店街の散髪屋のとなりに、控えめな看板を見つけた。隣の民家らしい建物に、みずのき美術館と書いてある。
一階には木造の小舟が展示されている。5mほどの小舟は、保津川のあゆ舟を復原したものらしい。舟はアメリカ人の船大工、ダグラス・ブルックスさんが、見習いの日本人とともに建造したとのことだ。建造中のビデオが館内で放映されているので、構造や工法がよくわかる。工法は和船と同じく、船釘を使ったはぎ合わせとなっている。平底なのは川を航行するので、喫水を浅くする必要があったためだろう。
現在保津川下りに使われている舟は、FRP製であるが、このあゆ舟と同じと言っていいほどの類似した船型を持っている。保津川はかって、木材、炭や薪、農産物を京都へ供給していた流通路の一つだった。保津川下りをしてみて、実感することが出来た。川の水量に応じた航路が、昔から川の中で決まっているようだ。途中に現れる目立つ石には名前をつけて、航行の目安としている。嵐山まで下り、帰りは川辺の石の上に設けた細道を伝って、引いて戻ったとのことである。
近代までの輸送機関は船舶であった。保津川下りの舟でさえも、24人の積載量である1.2トンを搬送できる。馬は80kgがせいぜいだから、小舟でも15倍の貨物を運搬できる。舟は積み下しのために、港を必要とする。港は人が集散する場所だ。
それが中世、近世において港町亀岡を形成してきたのではないだろうか。

 

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