22世紀研究所・ヨット

友人の死

「オットーが亡くなりました。」 本人の携帯からかかって来たが、話し始めたのは、息子の玉城洋平君だった。2月7日のお昼頃だ。
糸満漁港に浮かんでいた玉城剛さんのヨット、「ブラックシャーク号」を訪れたのは、もう35年前になる。「ブラックシャーク号」は玉城さんが自設計自作したという。ハル(船体)は信天翁二世号と同じ、合板製だ。ヨットにはY21を自作中の大城豊さんと、海人の上原初保さんがいた。
コクピットで、宴会が始まる。泡盛の上澄みを、少しだけ捨ててからコップにつぐ。良くない油が浮いているからだという。

その後しばしば糸満を訪れることになった。 100歳まで生きると豪語していた上原初保さんは、すでに亡い。玉城剛さんが、その次となった。
大城豊さん、崎山正美さんと共に、通夜 へ行く。自宅は新築になったばかりだ。字糸満0番地にあった前の家が、道路拡幅のために立ち退きになったからだ。新築の家には、1ヶ月も住まなかったことになる。

夜になって3人で、韓国料理店「ソウル」へ行く。なんだか元気が出ない。まだ信じられない思いだ。酒豪の豊さんも、ビール2杯で終わる。タクシーを呼んでもらい、早々に戻ることにした。

 

2 Comments to 友人の死

  1. ラーク艇長 より:

    30数年前青木さんに連れられて初保さん・大城さん(造船所に行きましたがご不在)玉城さんとは旧糸満市役所で面識を得ました。当時は沖縄のヨット界も一番元気な時代だったと思っています。それにひかえ昨今の宜野湾マリーナをみるにつけフネは立派なのが一杯、それも内地のフネが一杯、このままでは内地のフネに乗っ取られるのでは。内地には海洋文化はありません。沖縄。糸満にはそれがあります。玉城さんには定年を迎えられ「これから沖縄のヨット界を引っ張って行こう、フネの世界はイトマンチュウに任せてくれ」との思いを強くされていたのでは。その矢先のご昇天、言葉がありません。ご冥福をお祈り申しあげます

  2. Aoki より:

    上原初保、玉城剛と、糸満の友人が亡くなっていきます。ぽっかりと胸に穴が開いたような感じです。「良い人ほど、先に逝く」と言うのは、このことでしょうね。
    大城豊は、造船所でがんばっていますよ。

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