22世紀研究所・ヨット

凍える坐禅会

2月4日の坐禅会は、4名の参加者であった。一年間でもっとも凍える月だ。足裏の畳は、まるで氷のようだ。
3炷が終わり書院へ移る。和尚様が笑顔で迎えて下さる。「さあどうぞ」。熱い生姜湯だ。合唱して一口すすると、すぐにおなかが温かくなる。参加者の自己紹介を聞いていて、坐禅に求めるものは、一人一人違うなと実感する。
「真言宗にも阿字観という瞑想がありますが、宗旨に関係なく、自由に参加して頂いたらいいですよ。」 ほっとする一言だ。一礼して退室するが、皆が門を出るまで、和尚様は座ったままで送り礼をしてくださる。

休日に胡蝶わび助を入れる。ストーブの前でボーとしながら、坐禅会を思い返す。
「ブッダ以前の坐禅を言うなら、なぜ大日如来像の前で礼拝し、坐禅をするのですか。」以前にある参加者から聞かれた問いだ。その人にとっては自分とではなく、宗派の本尊と対面する場と考えていたのだろうか。
自分自身の内部と語るのが私の坐禅だ。この世で悩みながら生きている自分自身がまずある。その向こうに大日如来があり、ブッダがあり、神々がある。そして死んでしまえば、文字通りホトケになるのだ。
生きている間は、悩みに打ち負かされないために坐禅をして、人生のバランスを保とうとしてるのが私の坐禅のようだ。

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