22世紀研究所・ヨット

蚌含明月

第九十則 【智門般若】 ちもんはんにゃ

垂示にいわく、声を出す前のそのひと言は千人の聖人でも伝えることができず (聲前 一句千聖不傳)。その目の前にある一本の糸は長い時間あらわれていてしかも絶え間がありません (面前一絲長時無間)。すっぱだかで水を浴び (淨裸裸赤灑灑)。髪はふさふさ耳は福耳 (頭※(髪の上 + 峰の右)鬆耳卓朔)。こんな気分ならどうでしょう (且道作 麼生)。ためしにこんな話をみてください。

僧が智門和尚に質問します 「般若のからだとはどんなものでしょうか? (如何是般若體)」
智門「口を開いたハマグリの中に名月が映りこんでいます (蚌含明月)」
僧 「般若のはたらきとはどんなものでしょうか? (如何是般若用)」
智門 「うさぎが子供を身ごもっています (兔子懷胎)」

一片凝絶謂、
人天從此見空生。
蚌含玄兎深深意、
曾與禪家作戰爭。

そのひとつに凝り固まったなにかは語ることを拒絶し、
庶民も指導者も此のなにかにしたがうことで、空という感覚が生まれるところを見ます。
ハマグリはその不思議なものを内側に映し、うさぎは奥深い意味をつたえます、
かつてこのものが禅宗に与えられ、そして議論を重ねることになるのです。

(まりび注) 般若はふつーは智慧と訳すんですがこの場合はほとけと同義語、またまた智門和尚にゴロ合わせしてます。このほとけのカタチとは? という質問にはハマグリや月のように 「丸くて閉じたカタチ」 と答え、ほとけのはたらきとは? という質問には 「みごもったウサギのようにだんだん丸くなること」 と答えてます。

丸いものがなにかといえば円相のこと、それは完全無欠の調和でありボールのように球形に拡がる意識のカタマリといったイメージらしく、仏像の光輪なんかもその一例みたいです。

真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思わ れた。また、中秋の名月の時期になると、 蚌は水面に浮かび、口を開 いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。張衡の『南 ?賦』に「巨蚌含珠」とある。

 

蛤含明月兎子懐胎
月の光を受けて自然に蛤は真珠を生じ、兎は子をはらむと
いう。無為自然の妙用にたとえる。作意なしに自然に事が
なされて行く不思議さ。

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